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バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)

 

 

 ※作品の結末に触れています

  

 

 

 

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 この映画の冒頭はレイモンド・カーヴァーの詩『おしまいの断片』から始まる。

 

 この人生における望みは果たしたと?
  -果たせたとも
 それで、君はいったい何を望んだのだろう。
  -それは、自らを愛されるものと呼ぶこと、自らをこの世界にあって、愛されるものと感じること。

 

 
 かつてハリウッドの超ヒット作『バードマン』の主演ヒーローだったその栄光に囚われ、精神をも病んでしまっている主人公リーガン・トムソン(マイケル・キートン)。けれどもう一度羽ばたくために、彼が選ぶのもやっぱり芝居。自ら製作・演出・主演するブロードウェイの舞台劇がレイモンド・カーヴァーの短編小説『愛について語るときに我々の語ること』。空から落下していく隕石を映した後画面が切り替わり、プレビュー公演を直前に控えた舞台裏から映画は始まる。

  

 彼は離婚していて、ドラック依存の娘サム(エマ・ストーン)との溝も深い。仕事もバードマン後は鳴かず飛ばず。リーガンの脳内にバードマンの声が重なる。「俺たちはこんな不快な場所に属してなんかいない。」彼がこの舞台に人生の再起をかけていることが解る。リーガンの妄想、心の中でだけ現れるこのバードマンこそが、彼を過去に縛り付け、また奮い立たせる存在でもある。

 

「お前はヒーローだ。」

 

 舞台『愛について語るときに我々の語ること』は二組の夫婦の会話劇。怪我をした俳優の代役としてやってきたマイク(エドワード・ノートン)がプレビュー公演を破茶滅茶にしながらも、その才能は観客に評価されリーガンを追い込む。リーガンが演じるのは、女性に暴力を振るうことが自分の愛の証明だと思っているDV男・エド。こんな台詞がある。

 

「君の望む男になるより、今の俺は自分以外の誰かになりたい。誰でもいい。俺だってこんな男にはなりたくなかった。俺は愛されていないのか?なら俺は存在しない。ここにさえ。存在しない。」

 

 このエドという男は、それを演じるリーガンの中にも確かに存在する。プレビュー公演をこなしながら、舞台裏では付き人にしているヤク中の娘となんとか絆を取り戻そうとするが拒絶される。「SNSを否定してるけど、パパは無視されるのが怖いだけ。でも相手にされてない。芝居もパパも意味がないの。それに気付けば?」

 

 エドは劇の最後、自らに銃を当て自殺を図る。

 

 マイクが本物の酒を持ち込み酔っ払って演技を滅茶苦茶にしたり、舞台上で相手役の彼女を襲おうとしたり、そんなマイクと娘がイチャついてるのを見つけてしまい動揺して煙草を吸っていたら誤って外に締め出されパンイチで劇場入り口まで向かったり、それを往来の人々に見られ大騒ぎになったりと散々なプレビュー公演を終え傷心のリーガン。映画俳優が嫌いな舞台批評家・タビサとバトり酒を煽り迎えた本公演初日の朝。バードマンが声だけでなく幻覚として現れる。

 

  「骨まで震わす大音響とスピード!
  みんなが大好きなのは血とアクション
  しゃべりまくる重苦しい芝居じゃない
  そうだ 次にお前が鳴いたら
  何百人もの人々の耳に届く
  世界中の何千ものスクリーンでお前は輝く
  空高く舞い上がれ
  お前は重力にも勝てる」

 

 指を鳴らし空へ舞い上がる妄想で彼は吹っ切れ、本公演初日へ挑む。その最後に彼は本物の銃で自らを打った。”血とアクションが大好きなみんな”の前で、まさしく血を見せたリーガン。迫真の演技だと受け取った会場はスターディングオベーション。その後、シーンは病室に。彼は鼻を吹っ飛ばしたが命に別状はないようで、「無知がもたらす予期せぬ奇跡」「スーパーリアリズムだ」と書かれたタビサの記事が読み上げられる。

 

 見事舞台で再び脚光を浴びたリーガンだが、結局彼はその後病室の窓から飛び降りてしまいます。お見舞いに来ていたサムは空いた窓を見つけすぐさま下を覗くが、見つからない様子。その後彼女はゆっくりと空を見上げ、笑うのです。ここで映画は終わります。

 

 

 もう一度愛されるために。羽ばたくために。話題にもなった全編ワンカットのように見える撮影方法で、映画全体が現実と演劇と妄想が入り組んでいるため、どこまでが起こったことでどこからが妄想なのか、その線引きがはっきりとしていない。彼は舞台上で死んだのか、病室から飛び降りて死んだのか。もちろんそれ以外の結末の可能性もあるけれど、私は最初は前者だと考えていました。けど時間を置いて見返したら解釈が変わり、後者であって欲しいと思った。バードマンがなくても、彼は羽ばたけるようになった。そしてそれが最後にたった一人、娘に届くのだ。

 

 全てが混濁していて見ているこちらも巻き込まれていく魅せ方・撮り方は素晴らしいし、ドラムロールだけのBGMも飛行シーンでクラシックになるところもグッときます。映画の中で演劇をするという作品ですが、その役者陣の演技バトルがひたすらかっこいいです。脇役までレベルの高いキャストで、良い緊張感があります。マイケルキートンは元バッドマン、エドワードノートンは元ハルク、エマストーンはアメスパのヒロイン。ナオミワッツは売れない女優役。ブラックジョークも飛び交うコメディ映画です。

 

 やっぱり冒頭の『おしまいの断片』が大きな意味を成しているなと感じます。

 様々な解釈が出来る中でひとつ確かなことは、彼が羽ばたけたこと。それに何故か心からホッとする。『ブラック・スワン』を見たときのような、漠然とした「あぁ、良かった」という気持ちになりました。終盤、吹っ切れたあとのリーガンはやけに穏やかで泣けます。現実味のある、生命力溢れる作品です。